トイレの便座ヒーターがなぜか手動&連続になっていたいちパパ家です
#犯人はたぶん…
さて、いちパパ家のある市町村も他の自治体と同じようにタブレットを用いてあれこれしています。わが子のタブレット使用方法を見ていて、確かに便利。と感じることも多々あります。
ただ、ちょっと気になることが、このタブレットのよって、明らかに鉛筆を持つ時間が従来より短くなっているのです。
別にこれからの時代、手書きのほうが少ないんだから…と言われればそうですが、「お金をかけずに…」の趣旨からいくと鉛筆で字や絵を書けるということは賢くなるためにとても大事だというのが経験則です。
結論:鉛筆もって何か書かせましょう
別に問題集をしなさいとかそういうことを言うつもりはありません。自分の名前でもいいですし、好きな絵でも構いません。その根底には「強弱」があります。
文字や絵を書くときに指先に入れる力加減を微調整します(本能的に)。そこから自分が書いた字や絵を見て強弱の表れを見ます。
この過程が賢くなっていく子ほど、明確に「修正」がかかっていくのです。
逆を言うと、そこで修正がかけられるように本人を仕向けていければ「お金をかけずに~」に近くなるのです。タブレットだと、画面上文字や絵は綺麗にでますが、手書きの力加減は表せません。
例えば、曜日の「曜」を書くとします。最後の「ふるとり」の部分で力を入れすぎて字が潰れてしまって「それでよし」で終わってしまう子に対して、「変じゃない?」と投げかけるだけえで「どこが?」と会話が成立し、
「う~んフルトリのあたり見にくいように見えるけど、はっきり書いたらどんな形?」
などで再度自分の力加減で書いた字を見直す機会を作れますが、タブレットで書いた字は力加減でなくペンでどこをなぞったかによって字が潰れているだけなので、
どういった力加減で書いたからこうなった
に考えが及びません。結局のところ日本の義務教育を終えて字が書けない子はほぼいません。でもその書けるようになるまでのプロセスでどこまで頭と視覚を使ったかは十人十色です。
そして、明らかに自分の字を用いて思考した子たちのほうが「賢くなったよな」といういちパパの経験則です。
推測ですが、タブレットで学習していると、作業をしているだけになり、咀嚼というか、脳内への定着に関してはほぼ無効ではないかと思っています。
ぜひ、お子様に1日少しでもいいので鉛筆をもって何かを書かせるように仕向けていただければと思います。
本日はここまで。お読みいただきありがとうございました。