これは7月に書いているのですが、とにかく暑い…30年前の平均気温を調べると温暖化は確実にあると思ういちパパです。
さて、今回は本好きシリーズなのですが、そもそも本好きになると何が違うのかというお話。
嫁さんと話していても「本をよく読む人は物知りで話していて面白い、話題が豊富」など、世間一般よく言われている話が出てくるばかり。もちろんそうなのですが、どうもしっくり表現できていない。
そんな中、斉藤淳著『アメリカの大学生が学んでいる本物の教養』に興味深い一節があります。
すごくシンプルに書くと、青虫とキャベツの食う側と食われないようにする側の様々な工夫(攻防)についての本を読む。これを知ったからといってテストの点数が上がるわけでもなく、誰かの役に立つわけでもない。でも、散歩をしていてキャベツ畑を通りかかるときに「ここでも相当な生命の生存競争が行われているんだなぁ」と思いをはせることができるようになる。
この部分に本を読むと「何かかが違う」の「何か」の答えの1つが入っているのではないかと思ういちパパです。
いちパパは本は中学まではほぼ読まない側でした。反面、新聞が大好きで1面~最後まで毎日欠かさず読んでいました。おかげで社会の時事問題は間違えた記憶がありません。
でも、結局のところその新聞で得た内容はテストの時事問題程度にしか役立っていません。
ですが、その後社会に出て色んな年代の人と出会い、仕事をし、かかわっていきます。
ある人は野球マニアである人はビックリマンにいまだハマっている…
#ビックリマンシール残しておけば
#スーパーゼウス…
そんな時に「昔こんなのありましたよね~。僕は●●さんほど詳しくはないですけど…」、みたいな会話がたくさんできる。もちろん、自分はそういった「好きな人」からしたらその端っこの端っこを知っているだけで取り立てて興味があるわけではありません。
でも、野球マニアで年上(あらフィフ)、巨人ファンと知って
「斎藤雅樹のカーブえぐかったですよね」なんて今の若い人にはわからない投手の名前出して、相手が斎藤選手を+に思っていれば盛り上がるでしょうし、桑田投手の方がすごいと思っている方なら「でもね…」といずれにしても話は尽きないだろうし、相手方にとっても楽しい時間になることは請け合いです。
対人であっても、先に書いたキャベツ畑の話にしても、結局は本(いちパパの場合中学生までは新聞)は人生を豊かにしてくれる、という意味では共通していることがあります。それは
感嘆
の機会を与えてくれる。
ということではないでしょうか。
斉藤淳氏の著書の一節は本を読む人は何かが違う。の「何か」を文字に起こしてくれたものだといちパパは思いました。
だからこそ、自我の少ない幼少期に「本好き」「活字好き」になっておくことは親がいなくなったあと、わが子が楽しく生きていくために大切だと言えそうです。
本日はここまで。お読みいただきありがとうございました。