【子育て論】~親の学歴は関係ない~

子育て

塾を経営していたころ、稀ではありますが、生徒自身が「うちの親、高卒なんで」と言って自分ができないことを先天的(遺伝的)なものとして片付けようとするケースがありました。

個人的には全否定です

結論:親の学歴と子の学力に相関関係はない

#いつものいちパパ調べ。

これまで賢い子を育ててきた親御さんの話を幾度となく伝えてきましたが、それらの方は学歴において聞いている範囲でも千差万別、何なら中卒もいました(高校中退)。

体感の域を出ないですが、まず学歴≠学力であること(学歴はあっても学力はそんなに高くない方も結構いる)、それから学歴はそんなに高くなくてもわが子の学力を上手く引き出せる方がいる。これらのご家庭は親の学歴と子の学力に相関関係はないと思っています。

以前にご紹介した山室牧子氏の著書「学力の経済学」でも父母の遺伝的影響について触れていますが、この点においてはいちパパの実体験は乖離します。


例えば。高卒である両親からなぜ高学歴の子どもが出るのか、類型化は不可能です。そんなに人間は単純でない。集中力や「量」をこなせるキャパが違う…これももう中学か高校あたりで決着がついていてそこからどうなるものでもない(つまり。親御さんがしてあげられることはほぼない)、

とすると、そういった高卒の両親から賢い子はなぜ…で、このブログでも再三お伝えしているように幼少期にどれだけの投資ができたか(習い事という意味ではないですよ。習い事は指導者によっては悪に転ぶこともあるので)にかかってるのではないか。これがいちパパの仮説であり結論でもあります。

これも1つのケースになりますが、数学は微妙→のちに高校でセンター試験(今の共通テスト)レベルは余裕でできるようになった生徒。東京大学と京都大学はセンター試験の割合が低く、2次試験重視の学部が多いため厳しいですが、大阪大学や神戸大学は意外とセンター試験重視の学部もあるのです。そのパターンにたまたまその生徒の希望が重なると、京都大学は厳しくても大阪大学ならなんとか…になります。

そのご両親は学歴はありません。でも幼少期から日本語に厳しく、本人がお茶が欲しいときに「お茶」というと「お茶をどうするの」と返してきて正しい日本語を使う訓練?を日常的にしていました。これに気づいたのは小学生にも関わらず作文の書き方がかなり上手で、必要な情報を短文にまとめる能力に秀でていました。

それに気づいたあとにふと「何か訓練してる?」という会話から上記の親が言葉の使い方にうるさかったのがあるかも…という話をしてくれました。

結局、言葉を読む、租借する、再構築する、アウトプットすると国語版SDGsができていると「学力」があるので最後に「学歴」がついてきます。

#あと鬼ほどの量をこなせること

現代において、小学校受験や内部進学推薦など私立大学はもはやテストで測れるという意味での学力を担保できているとは言い難い状況です。でもその子たちはやれ「慶応」だの「明治」だの「同志社」だのの看板(学歴)は背負えるのです。

別に三角関数ができない大学生はいらないとかそんな論ではなく、学歴=学力の図式は私立大学においては成り立たない現実がある。また、学力だけを物差しにするのは時代遅れという考え方もその通りだと思ってます。

#学力あっても生きていく力がなければ

ではもっと先を考えて、わが子が賢く生きていくために…となると、やはり物事をとらえ、租借し、再構築し、行動に移す力がある方がいいに決まっています。

そういったときに、先述の

幼少期に単語ではなく「て、に、を、は」をきちんと意識した文を会話の中でもさせておくことが先々、その子自身の大いなる手助けになりそうです。

#ヤンキーの単語での会話力

本日はここまで。お読みいただきありがとうございました。

タイトルとURLをコピーしました